しゃらり、と鎖の鳴る音がする。
 月は、動きを止めて周りを見回した。
 誰もいない。
 月は、耳を澄ませた。
 もう、何も聞こえない。


「ライト、どうかした?」
 ミサは恥ずかしげもなく肢体を露わにしたまま、月の顔を覗き込んだ。
「…何でもないよ」
「だって、途中でやめちゃうなんて」
 疲れてるんだよ、と冷たく言って月はミサに背を向けた。ミサの表情が歪むのが視界の隅に一瞬映る。
「でも最近ずっとじゃない。いっつも仕事仕事って…ミサだって忙しくってなかなかライトと一緒に居られないし、この前だって仕事の電話がかかってきて…」
 その後も延々と続く愚痴とも文句ともつかないミサの繰り言は、もうとっくの昔に聞き飽きていた。背中を向けられてもそれが「黙ってろ」のジェスチャーだということに気付かない女の話など、聞いてやるフリをする気にもなれない。こういう馬鹿女だとわかっていて利用したのだがやはり失敗だった。死神の眼さえ持っていなければすぐにでも消してやるのに。
 月は目を閉じて、こみあげてくる吐き気と暴力的な衝動に耐えた。ミサが何か言って身動きする度に、首にかかったクロスの鎖がじゃらじゃらと耳障りな音を立てて神経に障る。
「ミサ」
 月はまだ続いていたミサの繰り言を遮った。
「そのネックレス、外してくれないか。煩くて集中できない」
 ごめんねライト、すぐ外すから。だから御願い。怒らないで。
 そう言いながらきっとミサは今度は泣きそうな顔をしているに違いない。勿論演技だ。まとわりつかれて「愛情」を押しつけられるのも迷惑だが、泣き真似はもっと鬱陶しい。
 クロスを外してもまだ愚図愚図と未練がましいことを言っているミサを適当になだめすかしてシャワールームに追い払い、月は深いため息をついた。
 こんなに苛立つのはミサだけが原因じゃない。それはわかっている。
 ただ、あの音が…
 しゃらり。
 月は顔をあげた。ああ、まただ。またあの音がする。
 しゃらり。
 月は両手で耳を塞いだ。やめてくれ、と心の中で叫んでも鎖の音は鳴りやまない。手を伸ばしたところで掴むこともできないのにその音は、残酷な記憶だけを呼び覚ます。

 お笑い草だな、月。
 死神が笑った。
 そんなに恋しいのか?あの鎖が。
 それとも、お前を鎖で繋いでたあの男が?
 嘲るように死神は黒い翼をざわめかせた。
 そうだ。あの頃のおまえは死神のノートで何百人何千人と殺しまくったことも忘れて、あいつの隣でずいぶん幸せそうに笑ってたな。今とは別人みたいにキラキラしたまっすぐな目をして、確かに可愛いっちゃあ可愛かったぜ、あの頃の夜神月は。まあ死神界から見てる俺には少々退屈だったけどな。汁気たっぷりのリンゴも喰えなかったし。
 死神はそう言って真っ赤に熟れたリンゴをいかにも美味そうに囓った。
 あの頃も今と同じく周りの奴らは何にもわかっちゃいなかったが、どうやらあいつだけは気付いてたみたいだな。夜神月が死神をも超えた悪魔だってことに。死神の眼も持ってないくせに、どうやっておまえの正体を見抜いたんだか。俺に言わせりゃあいつの方が死神みたいだったぜ。
 そうだ、あの男。名前はなんて言ったっけな、確か…
「黙ってろ死神」
 月は噛みつくような鋭さで言った。
 死神がクククと笑う。
 なんだ、聞きたくないのか? あの男の名前。
 そういえばおまえ、結局最後まであいつの名前を知らなかったんだな。自分の手は汚してないってか?死神を利用してあいつを殺したくせに、おまえ、自分は最後にあいつを抱擁して「いい友達」を演じてたっけ。俺はあのとき、おまえが本当に泣いてるのかと思ったぜ。
「まさか」
 涙、だって?
 ははは。ははははは。
 今度は月が死神を嗤う番だった。
 何を今更。僕の両手は血にまみれている。死神の言う通り、裁かれるべき悪人たちだけでなく正義を名乗る者たちの返り血まで浴びて、この両手だけじゃない、頭の先から爪の先まで全身真っ赤だ。
 だがそれがどうした?
 革命に犠牲はつきものだ。世界は確実に以前よりも平和に、美しくなっている。犯罪は減り、悪人どもはキラを恐れ、キラに異を唱えるものは姿を消した。悪に泣いていた者たちは皆キラに感謝し、キラこそが正義と崇めている。誰が今更キラのいない世界に帰りたいと望む?
 僕は間違ってなどいない。僕は不幸なんかじゃない。
 僕はおまえに勝利したんだ。邪魔者はすべて消えた、それなのに。
 しゃらり、と鎖の鳴る音がする。
 その音が、耳にこびりついて離れない。


「変わったね、ライト」
 シャワーを浴びてベッドルームに戻ってきたミサは、床に脱ぎ散らかしたシャツを拾い上げると唇を尖らせて言った。
「最近なんだかいっつも投げやりな感じ」
 月は寝たふりをしてミサを無視した。甲高いミサの声がキンキンと耳に響いて煩わしい。
「ねえライトってば。寝ちゃったの?」
 ああ、もううんざりだ。頼むから放っておいてくれ。
 まとわりついてくる女たち、狂信者、無能な警察、頭の悪い後継者たち。
 みんなうんざりだ。
 誰か。
 御願いだ。




 誰か、僕を殺してくれないか…?












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お題はA Midsummer Night's Dream様より、「邪魔者はすべて消えた」です。