溺れる
これ、飲もうぜ、とビール缶を片手に布団部屋に誘って来たのは山元の方からだった。
山元と何かするときに、月から誘ったことはない。学校行事で一緒に行動するときも、クラスメートとして遊びに行くときも、何故かいつも山元は月に声をかけてきた。驚くほど自然に、呆れるほど大胆に。
改めて考えてみれば不思議な男だ。初めて言葉を交わしたときの山元の不遜な態度は、珍しく月の気を惹いた。
「悪いな、俺、女の子の顔しか見てなくて」
この僕を見覚えていないという山元の主義を、月は内心で嘲笑った。これまでの経験に引き充てて、それは恐らくただのわかりやすい敵意か、もしくは屈折した好意の裏返しであろうと思ったからだ。
自分に対して過剰な敵対心を抱いて近づいて来る人間も、過剰な好意でもって近づいて来る人間も、どちらも月はよく知っていたし、あしらい方も十分に心得ているつもりだった。敵対心を抱く人間には慇懃無礼かつ冷酷に、好意で近づく人間にはやんわりと真綿でくるむようにして、月は彼等との間に高く強固な一線を引き、決してその線から内側へ足を踏み入れることを許さなかった。
山元はどちらでもなかった。避けているのかと思えば親身になって近づいてきたり、近づくかと思えば距離を置く。好意らしきものを抱かれているのは確かなようだったが、その好意の理由がよくわからなかった。
「おまえ、どうしたんだよ、それ」
「冷蔵庫に入ってた」
どこの、と訊いても山元は笑って答えない。
「バレなきゃいいじゃん。たかがビールだし」
あっちの部屋でセンセーも飲んでるぜと山元は慣れた様子でプルタブを引く。恐らくそのあたりからくすねて来たか、こっそり家から持ち込んだか。普段からいかにもこういうことを仕出かしそうなと目をつけられている筈の山元がどうやって監視の目をくぐり抜けたかは不明だが、物事の裏というのではないが、そんなどうでもいい抜け道を見つけるのが山元は異様に得意だ。
少し温いなと舌打ちしながら、夏の林間学校なんて、教師に隠れてこっそり酒でも飲むか、女の子の布団に潜り込むくらいしか楽しみがないぜ、と山元は嘯く。
「じゃあ潜り込んで来いよ」
だからこうして潜り込みに来てるんじゃないの、と冗談めかして山元は馴れ馴れしく月の肩を抱く。暑苦しくて鬱陶しい酔っ払いの手は放置して、缶ビールのタブを引いた。
もちろん月は謹厳実直を絵に描いたような父親のお膝元では絶対に飲酒などしないし、特にしたいとも思わない。アルコールによる酩酊作用は理性を狂わせ脳細胞を破壊する。特に未成年には正常な発達過程に悪影響を及ぼす。酒など飲んでみたところで何もいいことはない。それは物心ついた頃から月にとってはごく自然に身に染み込まされて来た正論だ。夜神の家では不道徳な行いは絶対に行われない。
低俗な番組が茶の間に映し出されることはないし、子供が大きくなってから両親はセックスなどしたこともないだろう。高校生になる息子はエロ本だって読まないし、勿論のこと自慰もしない。清純可憐な妹は結婚するまでは処女のままだ。
初めて引いたプルタブは冷たくて、心臓を少しだけ震わせた。
「おい、いいのかよ?」
勢いよく喉を鳴らす月に山元が驚いたような声をあげる。誘っておいて今更だろう、と煽るように一気に飲み干す。唇を濡らして顎から滴り落ちる苦い液体は妙に生温い。体内に入ったアルコールが血中を駆け巡る。
このまま寝てしまえばいいのだと思う。何もかも酔いのせいにする事だって出来るだろう。倦怠も退屈も欲望も全て混ぜこぜにして、酔った振りでかかってきたらいい。僕はけして溺れたりはしない。
「…なあ、ほんとにいいの?」
うるさいな、おまえは黙って腰だけ振ってろと毒付いてやる。普段からは考えられないような下品なものの言いようにも山元はへらりと笑っている。固い意志とは裏腹に、そろそろ溺れかけなのを見透かされているようで何だか悔しい。
TEXT
山元と月です。山元は月の高校時代の同級生です。
2009年夏コミとインテで山月BL本を落としまくったお詫びの無料配布ペーパーです。もの凄く切羽詰まってメモを加工して書いた覚えがあります。
そこはかとなくエロスを目指して、若干手を加えてます。
ちなみに山元くんは原作1、2巻あたりにいます。