甘い罠
「いい加減にしてくれよ、竜崎」
何度目かの押し問答の後、月はついに声を荒げた。
「確かにミサは僕のことが好きだと言っているけど、その気持ちを利用して彼女から情報を引き出すなんて僕には出来ない」
この台詞を言うのも何度目だろう。しかしLは、竜崎は何度言っても納得せず、思い出したように同じ提案をもちかけてくる。その優秀な頭脳や彼の業績を尊敬はするが、こういった人間性の欠如や常識のなさに、月は少々辟易していた。
「竜崎は女の子とつきあったことってないのか?」
「ありません」
愚問だと言わんばかりに竜崎はあっさり否定した。
「どうして?モテなかった?」
「はい、二通りの意味で正解です」
軽い嫌味に竜崎はいつもの少し奇妙な言い回しで答えると、机の上からサイコロチョコレートの箱をつまみあげた。まだ食べるのかと一瞬胸焼けがしたが、予想に反して竜崎はチョコレートの箱をピラミッド状に積み上げ始めた。
「私はこれまで些か変わった生活をしてきましたので、特定の女性と親密な関係になる機会をもてなかった。それがまず一つです。またそもそも女性との恋愛だけでなく、特定の一個人と特別な関係になるということに、私は何の興味ももてなかった。これがもう一つです」
決してモテなかったという訳ではありませんが、と竜崎はご丁寧に注釈を入れた。
「しかし私にとっては恋愛よりも事件の方が遙かに興味深い。面白い。観察する対象としてだけならば、人間というのは実に興味深い存在ですが…正直、一目惚れというだけでどうして弥がそこまで月くんに執着できるのか、私には謎です」
その点は同感だな、と月は手遊びとしては見事なサイコロタワーを眺めながら心の中で溜息をついた。
「月くんも不思議ですか?」
心の中を見抜かれて、月は一瞬言葉を失う。
「…不思議というか…確かに、ミサがどうしてそこまで僕に入れ込めるのか、それは僕にもよくわからない」
「そうでしょうね」
何がそうでしょうね、なんだ?
全てお見通しと言わんばかりの台詞が月を更に不愉快な気分にさせた。しかし竜崎は月の渋面に気づいた様子もなく、かなりの高さにまで積み上がっていたサイコロタワーを惜しげもなく崩すと、今度はその箱をコロコロと転がし始めた。
「弥の感情は実に不可解です。弥は青山で初めて月くんを見て一目惚れしたと言っていますが、それでは弥は月くんのどこに一目惚れしたのでしょう?顔でしょうか。確かに月くんは男前です。しかし顔が好きだというならば眺めているだけで十分でしょう。だが弥は月くんの全てを知りたいと思っている。全てを知って、束縛したいとさえ考えている。それが恋ということなのでしょうか?」
「それも一つの形なんじゃないか」
「そういう意味でならば、私は弥以上に月くんに執着していると言えるかもしれません」
「僕に?」
突然お鉢が廻ってきて、月は一瞬虚をつかれた。
「はい、そうです。私は月くんに特別な興味を持っています。特定の個人に対してここまで深い興味を抱いたのは正直初めてです。私は月くんの思想思考言動行動、趣味嗜好交友関係成育歴、頭のてっぺんから爪先まで全てを知りたい。それこそ24時間鎖に縛り付けてでも、です。弥風にいうならば恋と言ってもいい」
「僕がキラだから?」
「そうです」
月は軽く肩をすくめた。ここで「僕はキラじゃない」と否定しても堂々巡りになることはこれまでの経験からわかっている。
「じゃあ、もし僕がキラでなかったら?竜崎は僕に興味を失うのか?」
「そうですね…」
チョコレートを転がす手が止まった。竜崎は唇に親指を押し当てて暫く思案した。
「…それでもやはり、私は月くんに興味を惹かれていたと思います」
「…」
「だからできれば月くんにはキラであってほしいですね。でないと私、弥の言う通り、変態になってしまいます」
「何言ってるんだ、竜崎」
「照れなくていいですよ、月くん」
「僕は照れてない」
「何真剣に答えてるんですか、月くん」
「…」
しばし言葉に詰まったあと、月はプッと吹き出した。
「どうしたんです?」
なるほどね。わかったよ竜崎。
これはゲームだ。相手を混乱させ、自分の罠に誘い込むための、ゲーム。
だったら僕も、快く受け入れてやろう。
「竜崎。こんなことを言うのは僕も辛いんだけど…」
月は竜崎が転がしていたサイコロチョコレートの一つをつまみあげると、口の中に放り込んだ。駄菓子の安っぽい甘みが咥内いっぱいに広がる。この甘さ。ドロドロに溶けて吐き気がしそうだ。
甘いね、とこの上もなく優しげに竜崎に微笑みかけて、月は言った。
「正直、僕がキラじゃなくてよかったよ」
「…キラじゃなくてよかった…」
月の言葉を反芻しつつ竜崎は親指を唇に押しあてると、黒い丸い目で穴が空くほど月を見つめ、真顔で言った。
「月くん」
「なんだい」
「好きになりますよ?」
「なれば?」
TEXT