奇妙な男について語ろう。
 平安の都を、風のように、雲のように飄々と漂って生きている男がいた。
 風に乗って流れる雲のように、何者にも捕らわれず、掴み所なく、大空を翔る。
 そんな男の話だ。
 名を、竜崎という。
 陰陽師である。





平安死帳絵巻
 巻一 陰陽師





「知ってますか、竜崎」
 供も連れず竜崎の庵にあがりこんできて開口一番そう言ったのは、平安京を守る検非違使の下っ端役人、松田であった。
「西京でまた鬼がでたんですよ」
「それを報告に来たんでしょう?松田さん」
 竜崎はそう言って茶菓子を運んできた切り禿の童子の頭を撫でると、下がっていい、と頷いた。
「これはまた美味そうな菓子ですね」
 松田は嬉しそうな顔で茶菓子にさっそく手を出したが、童子の姿が一瞬で消えてひらひらと紙人形になって舞い落ちる様子を見ると、喉に茶菓子をつまらせた。
「り、竜崎、また…そんな怪しげな式神?とやらを使ったりして…」
「陰陽の呪いが厭なら食べなくて結構ですよ?」
 松田さんよりは式の方がよほど役に立ってくれるんですがね、と竜崎は言って松田から取り上げた水菓子を口に入れた。


 平安の闇のなかに、ごく自然に怪かしの存在は息づいていた。
 竜崎の仕事は、その闇に跋扈する物の怪、魑魅魍魎を祓うこと。
 竜崎は賀茂氏の流れを組む歴代随一の陰陽師と呼ばれ、知る人ぞ知る高名な陰陽師であったが、普段は洛外に身を潜め、これまではその姿を知る者とてなかった。しかし、近頃都を騒がす奇怪な事件を解決するため、今上の帝より特に請われて都の外れに庵を結び鬼を追っていたのだった。


 奇怪な、事件だった。
 こんな奇妙な物の怪を竜崎は知らない。
 通常、鬼は人を喰らうものと相場が決まっている。
 しかしこの鬼は心の臓を止めるだけ。ひとすじの血すら流さない。
 しかもこの鬼が襲うのは常に、金品を奪うために人を殺める盗っ人や、婦女子を好んで襲う野党のような輩ばかり。
 義賊、のようにも見える。
 すでに巷間ではこの鬼を「綺羅」と呼び、快哉を叫ぶことしきりとなっている。そればかりか、「綺羅」を末法の世を救うために神仏が権現したものと崇める者たちすら現れてきていた。

 しかし、検非違使庁はこの事件に震撼した。
朝廷以外の場で、このような物の怪による裁きが行われることを許してはおけない。市井の噂も無視できない。朝廷と帝の権威に関わる問題だった。
 時の帝は、検非違使庁に命じて陰陽師と協力し、即刻「綺羅」を捕らえるよう勅を発した。
検非違使庁別当・従三位夜神中納言は武を奉じる気骨ある漢として知られ、常日頃より物の怪など信じぬ、陰陽師など呪い師にすぎぬと思っていたが、心ならずも陰陽師竜崎と手を組み物の怪を追うこととなったのである。

「それで松田さん、調べてもらえましたか?」
「はい。検非違使庁で取り調べ中の罪人や、遠島流刑になった罪人で、突然死亡した者の数がここ数か月で激増しています」
 やはり、と竜崎は親指をその薄い唇に押し当てた。

 物の怪に殺されているのは、洛中を闊歩する罪人ばかりではない。すでに捕らえられた者、罪に処せられた者も含まれている。皆この短期間のうちに原因不明の死病で次々と亡くなっていた。

 綺羅が狙うのは、罪人。
 しかも、その対象は広く全国に及ぶ。
 そのちからは、はかりしれない。
 …しかし、何のために鬼が罪人を殺す?
 しかも、屠った肉を喰らいもせず。
 






つづく≫

陰陽師竜崎と松田さんの平安パラレルです。


TEXT