平安死帳絵巻
 巻八 死帳



   朱雀大路を、牛車がゆく。
 檳榔で屋根を葺いた車には、蓬髪の陰陽師と、束帯で正装した検非違使が鎮座している。
 「竜崎、やっぱり冠はつけないんですか?」
 恐る恐る尋ねる松田を無視して、竜崎は不愉快そうに爪を囓った。
 ああ、こんな会話、以前にも交わしたような、とため息をつきながら松田は慣れない衣の裾を引いた。
 前回はごく私的な参内だったが、今回は違う。
 今上帝の父、夜神の大臣からの直々の仲介で、正式に帝に謁見するのだ。
 せめて烏帽子だけでも…とやきもきする松田を控えの間において、竜崎はさっさと紫宸殿の中にある謁見の間に向かった。


 「竜崎か」
 着席して形ばかり頭を下げると同時に、御簾の裡から帝の声がした。
 「こたびの働き、大儀であった。これで京も平穏に戻るだろう」
 その声は以前と変わらず凛として、涼やかによく透る。
 が、と竜崎は僅かに眉を顰めた。
 その響きに潜むのは、以前の清清しさとは異質の冷たさだった。
 まるで別人。
 「いえ。まだ終わっていません」
 竜崎がそう言うと、一瞬宮中の空気が凍った。

 沈黙を破るようにさっと御簾が跳ね上がり、帝は姿を現した。
 青緑の御袍を軽やかにまとった身のこなしは優雅ながら機敏さを兼ね備え、武官のような鍛錬の気配さえ匂わせる。
 涼しげな目元は才智に煌めき、その項は宮中にひしめくどの美姫よりも艶を帯びて滑らかに白い。
 噂に違わぬ、いや噂を凌ぐ美丈夫である。
 「竜崎」
 帝はざわめく側近たちを扇子の一差しで沈黙させると、直接に陰陽師へ話しかけた。
 「まだ、終わっていないと?」
 「はい。まだ終わっていません」
 竜崎はひた、と月宮と呼ばれた帝の美貌を正視した。
 本来ならば帝を直視するなど許されぬ行為であった。だが、切れ長の瞳は、そのくろぐろとした視線を正面から受け止めた。
 「…綺羅は、おまえが封じたのではないか」
 「こたびは、封じました。しかし、綺羅は消えてはいない。その姿を変えただけ…綺羅は必ずまた現れるでしょう。おそらくは、近いうちに」
 竜崎は挑むように月宮の目を見つめた。
 常にこの世の闇を見つめて現世の光を宿さぬ陰陽師の瞳は、今、闇よりも深い闇に潜む魔を見つめている。

 逃さない。

 互いの視線が蛇が絡み付くように一瞬重なり、離れた。
 「…綺羅は必ず捕らえます」
 「竜崎」
 月宮は怜悧な声でそう言うと、御簾の裡に身を翻して、笑った。
 「頼りにするぞ」


 陰陽師が退出したあと、月宮は硯箱の中から巻物を取り出した。
 雲母摺の表紙で綴じられた巻物を紐解く。蒔絵の施された文箱から筆をとり、さらさらと流麗な筆致で「竜崎」と書いてみた。
 暫しの沈黙の後、ふ、と唇に笑みが浮かんだ。
 死なない、か。
 当然だ。
 あの陰陽師がそうやすやすと真の名を明かす訳がない。もしかしてあの男は既に気づいているのかもしれない。あの巻物を見たのだから。
 月宮は机の上に筆を投げ出した。
 面白い。
 身体の奥底から沸き起こる。身震いするような、愉悦に満ちたこの快感。
 歪んだ口許に、舌舐ずりをするように朱い舌が蠢いた。端麗な美貌が瞬時に消え去り、禍々しい笑みが広がる。

 捕まえてみろ。

 夜の闇が支配する都の最も闇の濃い場所で、密やかな笑い声が谺した。















Illustration: fiting MASAKO 






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もともとこれ、ヨーコ★さんのところの字茶に初めてお邪魔したときに、何故かいきなり(その場にいなかったにも関わらず)「宿題じゃ!写経りうざきを書け!」と命じられて書き始めたのでした。
写経竜崎じゃなくて写経松田になっちゃいましたけどね…いや、あの後で松田が竜崎に写経するんですよムフフ。
これまでパラレル小説を書いたことがなく、平安時代に造形が深い訳でもなく、ほんとにひょうたんから駒なネタ小説でしたが、書いててとても楽しかったです(笑)特に松田さんとの絡みとか、月との攻防が楽しかったよ…!!

ちなみに、以下は途中で作ったキャラクター設定メモです。
これだけ決めてあとは全部適当です。
ほんと、平安に詳しい人には笑える内容になってると思う…。

■人物関係
帝・主上:月宮・月仁(夜神天皇)
夜神の大臣:検非違使別当(庁官)・刑部次官のち刑部卿(長官)・従三位・中納言。月宮の義父(親を盗賊に殺された海砂姫を養女にして更衣として入内させている。)
竜崎:陰陽師。本名慧琉
松田:検非違使少尉。曾祖父が大納言を務めた関係で検非違使庁に職を得た
相沢:検非違使佐。松田の上官
魅上(照):刑部省大判事(裁判官最高位)
式神:芽呂、弐亜
多貴の大臣:刑部省長官。謀反の罪で魅上に流罪を命じられた貴族の身内。


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