坂の下
夜神さん、とワタリは改めて総一郎の名前を呼んだ。
「私の口からこのようなことを申し上げるのは大変僭越とは存じますが…御願いがあります」
総一郎は長いもの思いから覚めて顔を上げた。ワタリはゆっくりと言葉を続けた。
「夜神さん。この事件が終わりましたらどうか、一番にご家族を大事になさってください。そして息子さん…月さんのことを、もっと理解してさしあげてください」
見透かされたような気がして、総一郎は視線を逸らせた。
「家族のことは私もそうしたいと思っている。だが、しかし、月のことは…」
「竜崎は今も息子さんを疑っております」
その一言で総一郎の心臓は凍り付いた。
「私は竜崎のことはよく知っております。私はもう長い間竜崎に仕えて参りましたが、これまで竜崎が間違えるのを一度たりとも見たことがありません。ですから私は…」
ワタリはそれ以上言わなかったが、総一郎には続く言葉がよくわかった。
竜崎が疑うのだから、月はキラ。
そんな馬鹿な、という声はついに言葉にならなかった。
24時間の監禁までしてなお、竜崎は月を疑っているのだ。重々承知していたつもりだったが、改めて突きつけられるとそれは恐ろしい事実だった。
月がキラ。
冷たい汗がすぅっと背中を流れ落ちた。
「月さんはまだお若い」
青ざめた総一郎を慮るように間をおいて、ワタリは淡々と言葉を続けた。
「…まだ時間はあります。今ならまだ間に合う。どうか月さんを、警察庁局長・夜神総一郎氏の後継者としてではなく、あなたの愛する息子さんとして、よく見てあげてください。そして、月さんの選ばれた道が果たして本当にご自身が望まれた道なのかどうか、もう一度よくお考え下さい」
これが私の、最後の御願いです。
ワタリはそう言って、ぬるい番茶を啜った。
申し訳ない、長居したと神父に声をかけて、夜神総一郎は教会を出た。既に日はとっぷりと暮れ、身体に沁みるような冷たい秋風がコートの裾をはためかした。
結局、ワタリとそんな話をしたのは後にも先にもそれきりだった。その夜から数週間後、偽キラ、火口洋介は逮捕直後に何者かによって殺害された。その数日後、ワタリも竜崎も死んだ。
いや、はっきり言おう。彼らはキラによって殺されたのだ。
しかしキラのどういう思惑からか、相沢、松田ら捜査本部の人間は生き残り、総一郎と月もまた命を長らえた。
火口の死亡により、キラに迫る手がかりは失われた。しかし、火口の殺人ノートに書かれていた13日のルール。これが月の無実を証明した。竜崎もそれを認め、月と弥海砂を解放した。
結局、月はキラではなかった。しかしキラによる犯罪者殺しは止まらず、今もなお世界を脅かし続けている。
竜崎亡き後、捜査本部は解散した。
その後、月は総一郎の後を継ぐため優秀な成績で警察庁に入ることとなり、同時にLをも継いで、キラを追っている。キラ事件が起こったあの冬の日の約束を違えず、月は確実に夢を実現させつつある。友を失った後も月は変わらない。ただ時折、その目に強い決意のような影が閃くようになった他は。
真面目で、正義感が強く、優秀。誰もが賞賛する、自慢の息子だ。
今、月は弥と暮らしている。辛い監禁生活を乗り越えて結ばれた可愛い恋人と、ままごとのような生活を送っているのだろう。同棲などというけじめのない関係には些か疑問もあるが、それもあとしばらくのことだ。
幸せか?月。そう尋ねたら、彼はこう答えた。
ああ、僕は幸せだよ、父さん。夢はかなったんだ。そしていつの日か、僕はキラを捕まえて死刑台に送り、竜崎の仇をとってみせるよ。
その言葉以上に何を信じればいい?
月はキラではない。キラではなかったのだ。
夜神総一郎は黙って坂道を下った。
≪BACK END
2008年、国I合格後の秋の話。もう官庁回り終わって採用決定してる筈…
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