L.A.コンフィデンシャル
キラの話をした数日後、相沢さんと伊出さんはSPKを監視するためL.A.からNYへ飛んだ。残った僕らはそれからしばらくの間、L.A.のホテルでふたりきりで過ごすことになった。
決して広くはないビジネスホテルのツインルーム。後味の悪いニアとの消耗戦の後、僕たちは身体的というよりは気分的にひどく疲れを感じていた。L.A.に来てからもともとネクタイはしていなかったけれど、それでもいつもよりワイシャツの襟元を緩めて、僕はソファに転がった。
その夜、寝酒にと封を切ったウィスキーのせいで、月くんは珍しく酔っぱらっているようだった。ソファに座って、もうずっとグラスの氷をカラカラと廻している。局長もそうだったけど、月くんもあまり酒には強くない。顔に出るタイプらしく、目のふちのあたりがほんのり赤く染まって、それがひどく艶っぽく見えた。
「松田さんは、僕のことどう思ってます?」
月くんは、氷が溶けて薄くなったウィスキーをぐいと一気に飲み干すと、僕に尋ねた。
「え?どう…」
「やっぱり疑ってますか?僕のこと。キラじゃないか、って」
少し苛立ったようにそう言った後、月くんはすぐに「すみません」と謝ってグラスを置き、頬杖をついた。
そのころ彼は、精神的に少し参っているようだった。メロとの対決で父親である夜神次長を亡くし、そのショックも癒えないままニアとの駆け引きで神経をすり減らし、ニアのせいで相沢さんとの関係にもヒビが入り…
「仲間に疑われることほど辛いことはないですね」と彼は弱々しく笑った。いつになく弱音を吐いている月くんの姿は、僕の胸をきゅん、と締め付けた。
「大丈夫だよ月くん!僕は何があっても月くんの味方だから」
僕は彼を励まそうと、彼の肩に腕を廻した。6年前に出会ったときに比べると少しはがっしりしてきたけれど、それでもまだその肩は薄く少年らしさを残していた。元気だせよ、と僕は彼の肩を叩いた。もしかするとそのとき、僕も相当酔っぱらっていたのかもしれない。後で、ウィスキーのボトルが完全にカラになっていたのを発見した相沢さんにこっぴどく叱られたから。
酒の力と上司のいない気楽さに勢いづいた僕は、月くんに向かって熱く語った。
「まったくどうかしてるよ、相沢さんも。Lの後継者だかなんだか知らないけど、ニアみたいないけすかない奴の言うことに惑わされて月くんを疑うなんてさ。だって月くんは今まで一緒に闘ってきた仲間じゃないか。僕なら絶対ニアになんか情報は渡さない。だいたい、ニアは何も知らないんじゃないの?月くんが竜…いやLと一緒にキラを捕まえたときのこととかさ」
僕がそう言うと、月くんは少し寂しそうに微笑んだ。
「仕方ありませんよ。これまでの経緯を知らずに外部から状況証拠だけを見て考えれば、ニアが僕を疑うのも無理はありませんし…相沢さんだって人間です。迷ったり、判断を間違うこともある。だけど、きっとすぐに間違いだったとわかってもらえるはずですから」
「月くんは、すごいなあ」
僕は素直に感心した。
「自分を疑ってる人間のことをそんなふうに理解してあげられるなんて、さすが月くんだ」
「理解なんて…そんな大げさなことじゃありませんよ。それより、こんなに皆が僕を疑っている状況の中で、何の疑問も抱かず無条件に僕を信頼してくれる松田さんの方がすごいと思いますよ」
「そりゃだって、僕は月くんのことが好きだし」
「え?」
彼がとろん、とした瞳で僕を見つめたので、僕は少し慌てた。
「あ、いや、好きって言っても…友情?とか愛情?とか、かな、つまり」
「松田さん」
月くんはふらりと僕の肩に寄りかかった。シャンプーのいい匂いがふわり、と漂う。
「松田さんだけですよ、僕のことわかってくれるのは」
そのころアメリカで、タテにもヨコにもごっついガイジンのオネエチャンばかり見ていた僕の目には、そう言って伏目勝ちに頬を染める彼の繊細な横顔は、華奢で、可憐で、愛らしくすら思えた。
「松田さんだけです」
伏せた睫毛の先がちょっぴり潤んでいたのは酒のせいか、それとも僕が言った言葉のせいなのか。わからないけど、ウィスキーの香りがする熱い吐息は甘くかすれて、はだけたシャツの襟元から忍び込んだ。僕はごくり、と生唾を飲み込んだ。
やばい。
と、思った。
何だかよくわからないけど、この雰囲気はちょっとやばい気がした。これ以上触れられると、たぶん…硬くなる。別に僕にそういう趣味があるわけじゃないし、彼にだってそんなつもりはないだろうけど、これは生理現象だから仕方ない。だって僕だっていちおう成人男子だし、もう何ヶ月も何にもしてないし、ここんとこずーっと溜まってるんだ。やばい、やばい、この状況はどう考えてもやばいぞ。
だけど、理性を総動員して必死で月くんの身体を押し戻そうとした僕の手は、気が付けばただ彼の肩を撫でているだけだった。まつださん、と月くんは吐息混じりに僕の名を呼んだ。
「僕のこと、好きですか?」
僕は乾いた喉をひきつらせて、頷いた。声なんか出なかった。心臓はもうさっきからずっとばくばくと打ちまくっている。月くんは濡れたように光る茶色の瞳で僕を見つめた。
「僕も松田さんのこと、好きですよ」
その声を聞いた瞬間、頭の中で理性の回線がプチっと切れた音を僕は聞いた。理性っていうのは音を立てて切れるんだと、そのとき初めて僕は知った。
その後のことは何もかもがぐちゃぐちゃで、めちゃめちゃで、どこまでが夢でどこまでが本当なのか、自分でもよくわからない。
何がなんだかわからないまま、僕はむちゃくちゃに彼を抱いた。ワイシャツを剥ぎ取り、鎖骨に顔を埋め、酒臭い吐息を貪った。それから何をどうしてそうなったのか詳しくはもう覚えていないけれど、掠れた喘ぎ声に煽られるままとにかく突き進むうちに、僕は何回か彼の中で達した。そのときのいっちゃった感じが最高に気持ちよかったことだけは、曖昧な記憶の中でも不思議なくらいはっきりと覚えている。他のことは全部夢だとしても、その夜の出来事の中でこれだけはたぶん本当のことだと思う。だってその後、僕は誰とやっても、自分でしたときでも、そのときほど気持ちいい感覚をまだ一度も味わったことがないんだから。
その後、僕たちはその夜のことについてはお互いに一言も触れなかった。翌日には、NYから相沢さんたちが帰ってきた。それからもときどき彼とふたりっきりになることがあったけど、月くんはそんなことはまるで何もなかったかのように振る舞っていたし、僕もなるべくそうしようと努めていた。あの夜のことは、絶対に誰にも言えない、ふたりだけの秘密だった。その秘密がある限り、彼との距離が少し近くなったような気がして、僕はけっこうその秘密を楽しんでいた。楽しんでいる、つもりだった。
そもそも、僕は別にそういう趣味がある訳じゃない。彼だってそうだろう。事実、彼にはミサミサというれっきとした彼女がいて、同棲までしてる訳だし、僕だって女の子が好きだ。彼女だって過去には居た。だからあのときのことは…つまり、遊びというか、なんというか…その場の雰囲気?ノリ?みたいなものに流されて、なんとなくそういうことになってしまっただけなのだ。僕はずっとそう自分に言い聞かせていたし、ほとんどそれを信じ込んでいた。
日本に帰ってきてから、捜査の都合で月くんとタッキィの情事を覗き見することになったときも、僕はまだ自分を信じていた。僕はまるで映画かAVでも見るような気持ちで二人の関係を眺めることができた。それを聞いている間、伊出さんを茶化して遊ぶ余裕すらあった。そして、狭いアパートの自分の部屋に戻ってから月くんとタッキィの声を思い出して、僕は布団の中でひとり悶えた。
これは罰かもしれない。
自分の弱さに甘え、流されるままに生きてきた、僕に対する、罰。
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