坂の下



 秋の夜は暗く長い。

 夜神総一郎は膝の上で固く握った拳を緩めると、ふとワタリに尋ねた。
「ワタリ、貴方のご家族は?」
「私は生涯独身でした」
ワタリは簡潔に答えた。
「それでは、竜崎は…」
 総一郎が言いかけると、ワタリは軽く会釈するように頭を下げた。
 柔らかな拒絶。総一郎もそれ以上は尋ねなかった。Lの秘密は守られなければならない。
 しかし、とワタリは言って穏やかな微笑みを浮かべた。
「それでも私は幸せです。こうして竜崎にお仕えできた訳ですから」
 その言葉の中には竜崎に対するワタリの深い敬意と控え目な愛情が溢れていて、総一郎は一瞬己を恥じた。
 最初の頃こそ、総一郎より遥かに年配のワタリをまるで使用人か何かのように扱う竜崎の態度に総一郎は腹立ちを覚えていたが、竜崎とワタリの間に主従関係を超えた強い絆のようなものがあることは一緒に捜査をするうちに総一郎にもわかってきていた。勝手気儘に振る舞う竜崎を少し甘やかし過ぎではないかと思うこともあったが、家族のないワタリは竜崎を息子とも思い慈しんで育ててきたのだろう。
「あなたにとっては竜崎が自慢の息子のようなものなのだな、ワタリ」
 総一郎がそう言うと、ワタリの表情は何故か少し曇った。
 軽く咳払いをして、ワタリは総一郎の淹れた熱い番茶を一口啜った。

「朝日さん」
 暫らく沈黙した後、ワタリは言った。
「私は、竜崎がLとなったことを少し後悔しているのです」
「後悔?」
総一郎が驚いて聞き返すと、ワタリははい、と頷いた。
「もしLとならなければ、竜崎も今頃は朝日さんのように生涯の伴侶となるべき人と出会い、信頼のおける仲間に囲まれ、一個人として、平凡だが幸せな生活を送っていたかもしれません。しかし私は、竜崎の天才を放っておけなかった。竜崎の素晴らしい頭脳を、余人の及ばぬ能力を、世界の為に役立てたかった。…いえ」
それすらも言い訳に過ぎなかったかもしれませんと、ワタリは微かに首を振った。
「私は私のエゴと満足の為に、竜崎をLに仕立て上げた。その為に竜崎は同年代の子どもたちから隔離され、一種独特の教育を受けました。愛すべき家族ももたず、心を許せる友人もおらず…。私が竜崎を、Lというモニタの向こう側に閉じこめてしまったのです」
「しかし」
総一郎は思わず声をあげ、それから落ち着かなげに顎の下で両手を固く握り合わせた。
「しかし…竜崎、いやLのおかげで何百という人々が救われているのも事実だ…」
 確かに、とワタリは頷いた。
「ですがどんなに尊い役目に思われようとも、それを選ぶのは本来、竜崎自身であるべきだったのです」
 ワタリの口調は淡々としていたが、その言葉は総一郎の心に重く突き刺さった。

 真夜中の蛍光灯が、老人の顔に深く刻まれた皺に濃い陰影をつくっている。陰影のせいか、いつもよりワタリは疲れて、そして遥かに年老いて見えた。
 総一郎はワタリと竜崎のことを考えた。父親として竜崎のような息子をもつとはどのような気分なのだろうか、と。だが、想像もつかなかった。それから総一郎は月のことを思った。監禁から解放され、竜崎と共にキラを追っている息子のことを。
 月。 おまえは今、どんな道を選ぼうとしている?
 総一郎は竜崎が仕掛けた監視カメラの映像を見上げた。モニタは無言のまま、幾つもの暗い部屋を映し出している。その一つに月が眠っている。画面は真っ暗な闇に閉ざされている。その漆黒の闇の中に、一体どんな秘密が隠されているというのか。
 モニタを見つめる総一郎の心中を察したようにワタリは言った。
「月さんは、竜崎によく似ておられます」
「そうだろうか」
「竜崎も申しておりました。月さんの思考は自分と非常に似ている、月さんを見ていると昔の自分を思い出すと。これまで竜崎の周りには、竜崎に頼ろうとする弱い人々か、竜崎を利用しようとする者たちしかいなかった。しかし月さんは違う。初めてなのですよ、竜崎があのように誰かと殴り合いの喧嘩などしているのを見るのは。竜崎は口下手ですので、失礼を申し上げて誤解を招くこともあると思いますが…」
 ワタリはモニタを見上げ、白い眉毛の下に隠れた目を細めた。
「竜崎は、月さんと居るのが楽しいのですよ」
 総一郎は俯いた。
「竜崎にとって月さんは初めての同年代のご友人…願わくは私は竜崎が苦しむ姿は見たくない」
 私も月が苦しむ姿は見たくない、と総一郎は呟いた。





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ワタリ独身説主張。
続きます。


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